
| 1月 | えびす詣 招福行列 |
| 2月 | 堂島薬師堂 節分お水汲み祭 |
| 5月 | 青年部 総会 |
| 6月 | 北新地社交料飲協会 総会 |
| 7月 | 天神祭 北新地巡行 |
| 9月 | 橋洗い |
| 11月 | 「ようこそ!北新地へ!」パーティ(隔年) |

我々は、大阪北の曽根崎新地・堂島・中之島界隈に起居し、生活の場、仕事の場をこの地に求めて日々を生きている。21世紀を迎えた現在、今一度、大阪北の歴史を紐解いてみたい。
古代大阪は、広大な干潟が広がり、八十島と呼ばれた多くの洲から成っていた。遣唐使・遣隋使が出立し、大阪が古代のアジア交易・国際交流の玄関であった頃、堂島薬師堂は既にここにあったと思われ、堂島という地名も「お堂のある島」に由来している。
近世にあって、「天下の台所」大阪には多くの掘割が発達し、舟運が栄え、全国各地の産物が集まり「食」と「もてなし」の文化を生み出した。
江戸時代から明治末期まで、堂島一帯は曽根崎川(蜆川)と堂島川に挟まれた中州であった。曽根崎川の北岸には曽根崎花街が発展した。夏になると、曽根崎川の川面には、芸妓の乗った涼船が往来し、まさに水都大阪の象徴たる光景であった。
また、元禄元年には、堂島に米穀取引所が開設され、大小さまざまな蔵屋敷が軒を連ねた。「堂島の米相場」は世界の先物取引の先駆、日本近世経済の礎を築いたのである。
堂島薬師堂は、新地の花街や米相場師など多くの人びとの信仰を集め賑わったといわれている。明治42年、「北の大火(天満焼け)」により堂島薬師堂は焼失したが、仏像は類焼を免れ、花街のきれいどころが、朝、夕お参りする姿が見られたという。節分の鬼追い、地蔵盆などの行事も盛大に営まれた。
第2次世界大戦の戦災を免れた堂島薬師堂は、昭和28年には、奈良薬師寺の管長を招いての盛大な復興祭が営まれた。
かつて堂島薬師堂には井戸がありがあり水が湧き出ていた。街の人びとはこの水を汲み身辺の清めに使ったという。平成16年3月 19日に行なわれた第1回堂島薬師堂「お水汲み祭り」では、薬師堂の僧侶によって祈祷され、お香水で清められた竹筒護符が配られ、“春と福”を呼ぶ祭事が復活した。
この千数百年に及ぶ大阪北の歴史にのっとり、なにわの守護神とまで言われた「堂島薬師堂」のある曽根崎新地・堂島・中之島界隈をステージとして、“節分の祭事”“お水汲みの祭事”を大同団結し、大いに復活・復興させ、賑わいを取り戻し、水都・大阪の再生に向けたまちづくりの一翼を担いたいと思う。
|

| (発起時) | ||
| 代表発起人 |
塩川正十郎 | 前財務大臣 |
| 薬師寺信徒総代 | ||
| 副代表発起人 |
奥田 務 | 関西経済同友会 代表幹事 |
| 大丸 会長兼CEO | ||
| 松下 正幸 | 関西経済同友会 代表幹事 | |
| 松下電器産業 副会長 | ||
| 秋山 喜久 | 関西経済連合会 会長 | |
| 関西電力 会長 | ||
| 野村 明雄 | 大阪商工会議所 会頭 | |
| 大阪ガス 会長 | ||
| 寺田千代乃 | アートコーポレーション 社長 | |
| 田代 和 | 近畿日本鉄道 相談役 | |
| 柴田 稔 | 東洋紡績 相談役 | |
| 熊谷 信昭 | 兵庫県立大学学長 | |
| 元大阪大学総長 | ||
| 大阪21世紀協会 会長 | ||
| モーリス・ハルテンバッハ | スイス総領事館 総領事 | |
| アレキサンダー・アルマゾフ | 駐大阪・神戸米国総領事館 総領事 | |
| 安藤 忠雄 | 建築家 | |
| 林 裕章 | 吉本興業会長 | |
| コシノヒロコ | デザイナー | |
| 竹本住大夫 | 人間国宝 文楽大夫 | |
| 中村雁治郎 | 人間国宝 歌舞伎俳優 | |
| 藤田 まこと | 俳優 | |
| 桂 三枝 | 上方落語協会 会長 | |
| 浜村 淳 | パーソナリティ | |
| 喜多郎 | ミュージシャン | |
| 桑名 正博 | ミュージシャン |
|
| 顧 問 | 安田暎胤 | 堂島薬師堂 主幹 |
| 薬師寺 管主 |
|
「お水汲み竹筒護符」のお祀りの仕方 このお祭りは、水に感謝する大阪・堂島薬師堂の |
![]() |