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| ※ こちらの銘板はパネル貸し出しが可能です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ここ新地本通に沿って、蜆川(曽根崎川)が流れていた。明治42年(1909)の大火で、この川が埋められるまで、堂島は堂島川とで囲まれたまさに島であった・近松門左衛門が描く浄瑠璃には、北新地がたびたび登場するが、なかでも堂島と曽根崎新地の境域を流れる蜆川は、れに架かる橋とともに重要な舞台となった。「心中天網島」では「その涙が蜆川に流れたら、小春がくんでのみやろうぞ」と、「曽根崎心中」では「梅田の橋をかささぎの橋と契りていつまでも」と名調子でうたわれた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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