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| ※ こちらの銘板はパネル貸し出しが可能です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 二人は蜆川に架かる梅田橋に差しかかると、ひしと抱きあい名残の世を惜しみ合い、明け方、露天神(お初天神社)の森で心中をとげた。心中で最後をしめた浄瑠璃「曽根崎心中」は、元禄16年(1703)4月7日、ここ北新地(旧堂島新地)の遊女お初と内平野町の醤油屋手代徳兵衛の心中事件を題材に近松門左衛門がわずか1ヵ月で書き上げた。あの赤穂浪士が討ち入りを果たした翌年である。当時はこの新地本通りが蜆川の堤で、一本南の通り・堂島上通りとの間に蜆川が流れていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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